言い切ること
なるべくしない。
ペンシルベニア大学の論文による科学的根拠に基づくことしか
この世に言い切れることはない。
ってペンシルベニア大学の論文に...
と先輩に言ったら「ノースカロライナ大学なめんな」と返ってきて笑った。
以下最近の考え事。
1年ほど前、
言い切ることは分断を生んで、誰かを傷つけることがあると、
言語化できないレベルで気づいた頃、
もう漫画が描けないと思った。
何を問われても答えを出せる人が不思議だった。
人との会話がこわかった。
どうしたら人を傷つけない、読者を傷つけない言葉を紡げるか
悩みながらの原稿は、思ったようにいかない部分が多々あり、
自信が持てないことが多かった。
本を読み、先輩と対話し、
複眼を持てるようなモノの言い方、
提唱の仕方を模索してた。
1年間くらいずっと。
その成果かなあ。
最近はまあまあ人と話せるようになってきた。
バシッとした物言いは、わかりやすいから
求めてくる人は多いけど、私はなるべくしない。
相談に乗るときは、なるべく対面で、
なるべく多くの可能性を見つけられるようにしたい。
そのために必要なのが教養だなと思う。
昔はアシタカが好きだったけど、今はハウルが好き。
「臆病は複雑性を孕んでいる可能性がある」と友達が言っていて、それだと思った。
アシタカ、パズーは、こう、ルフィ的な、単細胞脳寄りのキャラは、
今の私には、なかなか響かないんだな。
カレーライスはいつでもうまいが、
歳を重ねて、味の奥行きを楽しめるようになったら、
そういう複雑性にも魅力を感じられる自分でありたい。
強迫観念に駆られて知識を詰め込んで「自分は今退屈をしていないのである」と思うのは不健全な可能性がある。
長いスパンで一つのものが熟成されていくことがある。
知識だけ、瞬発力だけを見過ぎると、苦しいときがある。
そういう考えをもらってから、少し肩の力が抜けるようになった。
少し仕事を詰め込みすぎてしまったけど、
大量にアウトプット出して結果を急ぐことは
長期的には、幸せを最大化することにはならないかもしれない。
外出自粛あけたら、長々一つのことを考えるのが好きな友達と、
のんびりお話ししたいわね。